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本書の中には、「せんせい」が三人出てくる。
そのうち二人は鼻持ちならない。もう一人は人間のできた老先生。
世の「せんせい」がすべてダメでもなく、すべてが優れているわけでもない。
肝心なのは「せんせい」と呼ばれる誰かをわが師と尊敬できるか、学ぶ側の姿勢だ。
むずかしいことは何も書かれていない。目の前に広がる景色の中に、変わらない心理を見いだす。それが詩人の目であり、繰り出す言葉だ。
詩はそれ自体が完璧な形だ。その詩を評するなんて正直おこがましくて、恥ずかしい。だから好きな詩について思うこと、自分だけの解釈を書いてみる。
「東京駅へと向かっていたのに」は、東京駅へ向かう車内から思い出がめぐる。車を降りて、自分が知っている姿で残っていた風景に安心していたら、元の場所へ戻れなくなる。
誰か あたしの帰れる道を教えてよ
そのままの意味にも、悲痛な叫びにも聞こえる。
いい大人になって、自分の意思でどこにでも行けるはずなのに、帰り道だけがわからない。戻る場所が見つからない。
「こんなところに産まれてしまった」の問いかけに、頷かずにいられない。
子どものころ「おまえは拾ってきたんだ」と親が冗談交じりで言ったとき、疑う前に「もし、わたしがよその子なら」と想像した。本当は優しい両親の子……捨てたくなかったけど、事情があった……だったら自分の人生は今と違っていたんじゃないか。
でも、遁れてもあんまり私の物語は変わらない――戻る場所はどこであっても、どんなところに生まれても、私は私の物語を生きるしかない。
人生は「台形」のようだといまさら気づき、その不条理な形が誰も同じであることを思い知る。あっという間に上りの急勾配は過ぎ、平たく保ち続けていたけれど、気づけば下り坂へ差し掛かっている。下りは高い場所から地上を見渡せるだろうか。ジェットコースターみたいなアトラクションは苦手だから、なるべくゆっくり下って、見えるものをすべて書き留めたい。
急な下り坂の意味を自分で見つけなければと、書きなぐった台形を指でなぞる。
繰り返される悲劇の原因は、どこにあるのか。それは「産土」に綴られる。
人間は間違える生き物失敗する生き物其処から学習して進化する生き物
過去、人間は多くの間違いと失敗をしてきた。今の人間はその過去の突端で生きている。そして明日をどう生きようと居並ぶ誰かと競う。
過去をもっと見なければ、また同じ間違いと失敗をするだろう。奇しくも世界は今、新感染症という共通の敵を前にしている。
共通の敵がある時にだけ人間は協力して闘って来た
新型コロナは、人間を分断させていく。人間の弱点をよく分かっている。でもひとつだけウイルスは知らない。人間には言葉がある。詩がある。
言葉は人を結びつけ、永遠の別れをしたとしても言葉の記憶は消えない。
詩も同じだ。
【なかえ・ゆり】女優・作家。大阪府生まれ。法政大学卒、89年、芸能界デビュー。映画『学校』、『風の歌が聴きたい』などに出演。2020年『海辺の映画館―(1)―キネマの玉手箱』公開。著書に『わたしの本棚』(PHP研究所)、『残りものには、過去がある』(新潮社)、『トランスファー』(中央公論新社)など。文化庁文化審議会委員、TBSテレビ番組審議会委員。天理大学客員教授。